2012年2月24日金曜日

2月7日 花壇に暮らして16代、今野さんを訪ねる

「広瀬川の記憶」の取材で花壇を訪ねる。
小野幹さんから出していただいた昭和35年の花壇付近の川の蛇行をとらえた写真は、仙台市街を遠望して、これから大都市へと変貌をとげていくと思わせるような躍動感にあふれている。一方で、片平丁には緑が続き、花壇の住宅地にも木が生い茂り、まだまだ杜の都の雰囲気だ。このころがよかったよねえ。つい、そういいたくなってしまうのは、超高層ビルが増え、樹木が毛嫌いされて、人が自然に寛容でなくなっているのを感じているからだ。
片平丁から坂を下り、花壇・大手町町内会の集会所を訪ねて、町内会長の今野均さんにお話を聞く。今野家は、藩政時代は鉄砲鍛冶だったという家で、均さんで16代目。均さんのお父上まで鉄砲屋だった。明治になってからは、マタギの注文に応えていたそうだ。きびしい父のもとで家業を継ぐことを期待されていたのだろうが、均さんは、「小学校のときには、どこかで自分には向いていないと思ってたよ。体も小さいし、運動も苦手で…」という。でも、すぐには信じがたい。
というのも、今野さんは、市から土地を借りて畑をつくり、地区の外からやってくるまちづくりに熱心な怪しい人々(?)ともフランクにつきあい、町外から人を呼び込んで定期市を開催して、という具合に、愉快に自在にまちに風をよびこみ、花壇大手町を元気にしよう、とここ何年か走りまわっておられるのである。
今野さんのお話は、本文でご紹介することにして、ここでは『仙台市青葉区 片平地区平成風土記』をいう本をご紹介します。A4判176ページの大著は、2年がかりで片平地区の6つの町内会の方々が足もと見つめ直し、歴史を調べ上げて資料にあたり、地元の人に聞き取りをして、文章を書いた、という労作。暮らす人みずからでつくったというところが、何といってもすばらしい。もちろん、地域の細部まで書き込まれていて、感服ものなのです。

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